odango’s diary

phoney dayo

うわあ!

低速がおわりました!うわあ!

 

そして、私は最近1992年出版の「高校生の主張」というのを読んでいます。

そして読んではカタルシスしてうおお、、という気持ちになっています。(どんな気持ちなんだ…)

 

1992年に高校生だった人は今はあら40歳…な人たちなのか、と思いを馳せたり、

印刷された文字なのに、文字とは思えないほど、手あかのついた図書館で眠っていたほんとは思えないほど躍動して生き生きと語りかける生命力にもうぐらんぐらんに揺すぶられて自分も熱くなって頑張ろうって思ったり、しています。

 

この本は、洋服にカエルがついてびょーんてうごめいている何か(漫画?)があったと思うのですが、それの本バージョンです!自分の気持ち、そこからうまれる自分の行動、そして相手の行動、振り返って相手を思い、理解しようと奮闘し、まず自分が変わろう、そうしなかったら何も変わらないんだって、自分や読み手に働きかけて、でもちょっと照れて、当時の高校生から生み出された文字たちが飛んで、跳ねてぴょーんて前に出て、明日を生きる勇気をくれた。

 

明日から12月、2016年最後の月、「終わりよければすべてよし」とは、終わりだけ良ければいいってもんじゃないって、決まったやり方なんてなくて、みんな奮闘しながら頑張って終わった時に「ああ終わった」といえるのがいい(たぶん)って鷲田清和さんが言っていたけれど、ああ終わったって、思えるように、最後まで頑張れたって、思えるように、頑張るんだ!

誰も暗い顔なんて望まないのに、自分は癖でうつむいてしまうんだ。

笑顔で、顔あげて、ラストスパート頑張るのだ!

さよならノベンバー。はろうディセンバー!