odango’s diary

phoney dayo

落花生

昨日は父の誕生日だった。でも、メールも何もしなかった。

 

父は人間にも動物にも、カラスにだって優しいめちゃんこ優しい、でも自分が正しいと思ったことは曲げない自慢の父、、なのだ。

逆に母は大酒のみで子供っぽいという側面を持っていたから、何となく昔からそんな母にも優しい父に、遠慮というか、そんな気持ちがあった。嫌われたくない、父の前ではいい子でいたい、と思っていた。

でも今年、特に9月過ぎからすっごく変わった。進路のことやいろいろな問題があって、父と本気な感じでぶつかった。本気で嫌いだって思った、でも今思えば、父は心配しているだけで、私が相当我儘だったんだなって。

 

父のような人になりたい。

今の自分が嫌です。

いつも縮こまっていて、思っても間違えたり、反論されたりするのが怖くて、すぐあきらめちゃって周りのせいにしちゃう自分が本当に嫌だ。でも、自分が大っ嫌いな自分がもっと大っ嫌いだ。

みんなのこと考えて、みんなのために行動できる自分を好きになりたい。

 

親の優しさってどこから来るんだろうと考える。

血縁もそうかもしれない。手かけて、金かけて世話したから、っていうのもそうかもしれない。

でもそれ以上に、これからの社会を、良くしていってほしいって、自分だけじゃなくてみんなのことも考えて頑張れる人になってほしいっていう思いが、あるのかもしれないなって思った。

 

私は我儘でへんちくりんで、悪いとこもたくさんあって、母には両親の悪いとこだけ取った子だって言われるくらいだけど、でも、頑張って克服したいって思っています。

親だけじゃなくて、いつもみんなに感謝しながら頑張れる人になれるように頑張ります。

 

今日、父の職場の近くに行くから、そのとき落花生、あげます。

もっとスゴイのあげるべきなのかなって思うけど、父は落花生好きだから良いかなって思います。

 

今日も明日も明後日も正直しんどいことばっかです。

理不尽なことばっかです。

でもそれはとらえ方なのかもしれないし、自分がわるいからかもしれないし、勇気をもって踏み出せたら「しんどい」っていう見方から抜け出せるかもしれない。

息苦しさの殻を破って飛び出したいんです。一生懸命頑張る!

うわあ!

低速がおわりました!うわあ!

 

そして、私は最近1992年出版の「高校生の主張」というのを読んでいます。

そして読んではカタルシスしてうおお、、という気持ちになっています。(どんな気持ちなんだ…)

 

1992年に高校生だった人は今はあら40歳…な人たちなのか、と思いを馳せたり、

印刷された文字なのに、文字とは思えないほど、手あかのついた図書館で眠っていたほんとは思えないほど躍動して生き生きと語りかける生命力にもうぐらんぐらんに揺すぶられて自分も熱くなって頑張ろうって思ったり、しています。

 

この本は、洋服にカエルがついてびょーんてうごめいている何か(漫画?)があったと思うのですが、それの本バージョンです!自分の気持ち、そこからうまれる自分の行動、そして相手の行動、振り返って相手を思い、理解しようと奮闘し、まず自分が変わろう、そうしなかったら何も変わらないんだって、自分や読み手に働きかけて、でもちょっと照れて、当時の高校生から生み出された文字たちが飛んで、跳ねてぴょーんて前に出て、明日を生きる勇気をくれた。

 

明日から12月、2016年最後の月、「終わりよければすべてよし」とは、終わりだけ良ければいいってもんじゃないって、決まったやり方なんてなくて、みんな奮闘しながら頑張って終わった時に「ああ終わった」といえるのがいい(たぶん)って鷲田清和さんが言っていたけれど、ああ終わったって、思えるように、最後まで頑張れたって、思えるように、頑張るんだ!

誰も暗い顔なんて望まないのに、自分は癖でうつむいてしまうんだ。

笑顔で、顔あげて、ラストスパート頑張るのだ!

さよならノベンバー。はろうディセンバー!

神父です

ごだごだと片づけごとをしていたら

7年前に抜けた歯が、ピンクの歯ケース、(…歯の形をしたピンクのプラスチックのケース!、長い!)に入っているのを見つけました。

 

歯は、毎晩磨かないといけないものだから、汚いものだと思っていましたが、7年ぶりに見たその歯は、白くて、骨のようで、まるで人類博物館の模型を見ているかの気分になりました。

 

歯は、いつもは口の中にあるがゆえにまじまじと眺めてみることができないレアものであるため、じっと見入ってしまいましたが、すごいなぁ…と思いました。

 

これは神秘だ、、と思いました。

 

歯茎とつながる部分に根っこがあって、それはまるで木のようで、対称でなくてアンシンメトリーで、きっと歯をつないでいたであろう神経(血管??)の痕的な何かがあって、、、

 

中学生のときに耳鼻科医になりたかったのを思い出したのでした。

 

人間の体はほんとに神秘だし、

すい臓とか十二指腸とか、トロンビンとか血中何とかとかその神秘の仕組みを理解している、医者はカッコいいなあと。思ってしまいました。

 

でも、自然科学もいいけれど、社会科学ってもっとすごいなって、もちろんどっちも素晴らしいけれど、スゴイしか言えないのかよって自分の語彙力に泣きたくなるけど

 

社会科学って自然科学では見えないことも見えるって、

それってすっごいなって、

自然科学では、放射能は目には見えないけれど、社会科学では、意味づけることによって、理解することによって可視化することができる、って政治学のおじさんが言っとってはっとして、なんだか感動しました。

 

人間からかけ離れて学問だけに走るのはよくないけれど、うまく組み込んで、みんなで知識や学びやいろんなことを共有できて、マスメディアに流されるのじゃなくて、みんなが自分の頭で考えて、みんなが幸せになれる道を選択できるようになるのがいい道なのかなあと思いました!

 

イェア!イデアリスティコ!

🍇🍇🍇

葡萄畑を通り抜けて大学に行く。

 

駅の近くにある場違い感のある葡萄畑。

もう収穫は終わったみたいで中は青色のネットに囲まれて雑然としている。

 

葡萄の木は低く、横に伸びていくタイプらしい。

でも収穫を終えた木々は枝が切られ、葡萄を茂らせていたであろう木々は切り株になって、苔やかびをはやしてまるでモアイ像のようにぽつぽつとおかれてそびえていた。

 

黄色い反射のシートをランドセルにつけた小学生たちが通り抜けて、

自転車にのった制服の高校生たちも通り過ぎる。

 

大好きな道だ。今日も頑張る!

 

バナナ・オレ

子供って可愛いなあって見るたびに思います。

 

そして自分にも小さい時があったはずなのに、彼らが考えていることが全く分かりません。

好奇心でキラキラしてるまなざしでキョロキョロしたり、じーっと何かを見つめています。

 

雨の中、傘も差さずにその子の家の玄関の前の道路に、

「ちょーキケン!」

という文字を書いていた男の子がいました。

……。

どういう意味なのだ??と思ったし、真剣に何色もあるチョークを駆使して描く姿が何とも愛らしくて・・。

 かわいいなあ。

穢れのない子供でいてほしいなと思うし、

穢れのない大人になってほしいなって思うけど、

そんなの無理なんだろうなって思ってしまいます。

がんばっても、ライ麦畑の捕手にはなれないのかなって。

 

明日で二十歳になります。

10代がおわってしまう。

甘えられないなって。もっと大人にならなきゃなって

思うのです。

 

決めるのは、小さい時は親だけど、

大きくなったら自分です。

 自分で決めたなら、たとえ望まないことでも、自分で責任を取ろうとしていくのが、大人だと思うのです。

好んで誰かが傷つくことなどきっと望む人はいないと思うし、

すべてが計画通りにいくわけでもないと思って、

 

自分の望まないことが起きても、

相手の望まないことが起きても、愚痴っぽくならないで

まわりを笑顔にできる人になりたいです。

 

なあんていってみちゃう、

限りなく偽善者チックなわたしなのです。

ココロの中で思ってるでも偽善者って言われるのをオビエテル

毒が消えてほしいピュアになりたい

無邪気になりたい子供みたいなオトナ?

 

お昼に飲んだバナナ・オレがこの上なく甘かった。

薄寒い、なんかどきどきする大好きな秋。

小さな秋も大きな秋もまだ見つけてません。

どこにいますか?

笑顔でいること

悲しみは連鎖する

でも

喜びもきっと連鎖する

 

今日満員電車のなかに目の見えない方が駅員さんに付き添われてはいってきた。

満員電車の中入ってきた彼女はぐんぐん押して奥に進もうとした。

満員なのに。

と思ってしまった。

 

よく考えたら目の見えない状態で満員電車に乗るって相当怖いことなのかもしれない。

他者を思いやる気持ちが欠けていたな…。

現象だけに目を奪われてもっと奥にあるものをみられていないぞ。

 

思いやる気持ちを、生産的な気持ちを、あと1センチ持てたら、

きっと何かが変わるはずだ。

1センチずつでも、たとえ1ミリでも変えられる何かは毎日ある筈だ。

 

笑顔でいたら

気持ちわるがる人もいるかもだけど

きっと笑顔になってくれる人もいるはず!

怒っているよりはいいはず。

笑顔の連鎖を生み出せる人に、なりたい

 

smileなのだ(#^  ^#)